少し前に、「夢組」と「叶え組」について書かれたnoteがTwitterで話題になっていたんですよね。
そのnoteを書いたのは桜林 直子さんというお方。(全く面識はなし)
「やりたいことがある人/ない人」について。やりたいことがないのは残念なことではなくて、役割がちがうだけだよねという話。
世界は「夢組」と「叶え組」でできている|桜林 直子(サクちゃん)|note(ノート) https://t.co/7vfSZgKdzC
— 桜林 直子(サクちゃん) (@sac_ring) October 10, 2017
これを読んだときに、なるほど!と腑に落ちたものの、どうも自分はどっち?と考えると答えがでなくて、それから事あるごとに
「あー今のは”夢組”っぽい衝動だったな」とか
「おお、自分が考えてるこのプロセスってまさに”叶え組”では?」とか
常に自分はどうなんだろうな、という目線で考えるようになっていました。
今日は全くオチのない記事ですが思った事をそのまま書き出しておこうと思ったまでです。
自分が「夢組」だなぁと思うとき
- 既にあるところからのスタートではなく、事業そのものからつくりたい欲が強い
- 多くの収益がなくてもやりたいことに夢中でいたい
- 大それた肩書きをもらうより、身近な誰かを喜ばせることがしたい
- 何かと本気で情熱をいれがちで意見の違うときにはバトる(ときどき息切れする)
自分が「叶え組」だなぁと思うとき
- 「絶対にこの社会問題を解決したい!」みたいな感情は弱い気がする
- 「これなんとかして〜」と渡される課題を解決に導くことに喜びを感じる
- 他人の混沌としているアイデアを整理して代わりにアウトプットするのが好き
- 自分の「技術」を生かすことにやりがいを感じる
誰もが夢組でも叶え組でもあるかもしれない
記事を書いた桜林さんの本意とは違ってきてしまうかもしれないけれど、私なりにここ1ヶ月考えた結果、自分だけでなく多くの人が夢組と叶え組を行き来しているのではないかと思うようになりました。
人の心の中っていろんな葛藤があるし、キラキラした世界に憧れるような自分と、目の前の課題解決に夢中になる自分と、どちらにも揺れながら生きている感情が、それはそれで心地よいし否定できない。
今のところ私は、どちらでもあるし、どちらでもないのかもしれないです。今日のところは。